徳地ワイガヤの会発展的解消

1.経緯

・2017年12月藤山浩先生による「徳地地域の人口分析」報告会があり、10年先、20年先の徳地5地区の人口推移の予測が報告されました。既に限界集落を越えている地区や、越えてなくてもこのまま何も手を打たなければこの地区の人口はこうなる、1%手を打てばこうなると言った分かりやすい分析報告でした。直接目に見えるデータをつきつけられ、それまでも危機意識を抱いていた有志数人が、「何とかしなければ」の気持ちを強く持ち、年が明けた2018年早々に自然に集まって「語る会」を持ちました。これが記念すべき「徳地ワイガヤの会」(第一回)(2018年2月16日)の始まりでした。

・自由参加で、一切の肩書を外してフラットな立場で自由に物申す(自由だからこそ責任ある言動が要請される)、とにかく「楽しく徳地の未来を語ろう」が参加者全員の一致した気持ちでした。とはいえ、一本筋金を通そうということでYさんが「気軽に集まった仲間で何か語る中から「これは面白そうだ」というものがあれば、それを取り上げて実行部隊で詰めていき、地域づくりに繋げて行く想いが強い人が集まって語る会」にしようという主旨説明があり皆で賛同しました。

・主旨に則り、Fさん提案の「むすびプロジェクト」が立ち上がりました。食べ物を扱う事業は衛生面(保健所)の規制が強く、大々的な販売にまでは持ち込めなかったけれど、さんさ祭り等でのイベントで「むすびワークショップ」を開き、場を盛り上げました。

・イベントでは、防府高校佐波分校での文化祭に2年連続「物品販売」で参加し、地域にも「徳地ワイガヤの会」の名前が徐々に知れるようになっていきました。特に嬉しかったのは、当初「あんたたち、集まって何をしているの?」とこの会に懐疑的でしたTさんが積極的に参加して販売活動に協力していただけたことでした。

・地域からの声に応える形で「佐波川美化ボランティアプロジェクト」の活動を始めました。一部地域の人のゴルフ練習場となっていて、住民の方から「畑仕事をしていたらゴルフボールが飛んできて、仕事を止めて家に帰っている」という苦情にMaさんが応えたものです。この活動は今も続いていて地元の方からは大変感謝されています。きれいに整地された河川敷は、憩いの場となっており、近隣の家族づれの方が良くキャンプをされている光景に出くわすと思わずこの活動をして良かったと喜びがこみ上げて来ます。

・地域の人を巻き込んだものとして「昔の堀商店街マップつくりプロジェクト」があります。Sさんをリーダーとして、昔を良く知る地元の長老が記憶をたどりながら昭和30年代の堀の街並みを見事に蘇らせていただき、徳地全戸に配布されました。「なつかしい、昔はこんなにいっぱい散髪屋があったんじゃねー‥‥」といった話が特に遠くふるさとを離れて行った親戚が集まるとこのマップのお陰で在りし日を思い出し昔話で盛り上がる、このマップがもっと欲しいといって大幅な増刷となったという後日談があります。

・ある時、観光協会のIさんから「藤本3兄弟の記念碑が漆尾の山中にある。見つけてほしい」と宇部の作家から連絡があり、ワイガヤの会で探してもらえないかと言われました。すぐにYさんとIcさんの2人で漆尾の山中を探し回りました。諦めかけて帰ろうとしてフト顔を上げたその先に本の写真で見た記念碑が大やぶの隙間から見えました。2人で藪をかき分け、実物が確認できた時は飛び上がって喜び合いました。 その後Tさんが主体となり、山林の所有者の許可のもと、樹木を伐採し、階段をつけ、誰でも容易に見学できるようにきれいに整備されました。地元から生まれたこのような貴重な資源(歴史的人材)を、後世に語り伝えるため、今、看板の設置を進めています。看板の裏面には看板設置に賛同し寄付を頂いた方々の中に、徳地ワイガヤの会のメンバーの名前を刻み込もうと考えています。

・会の途中から参加されたMiさんが、写真撮影やIT技術を駆使して、夫婦2人でワイガヤの会を盛り上げて頂きました。中央小学校の生徒が、自分の目で見て感動した地元の風景を写真に収めた写真展を当時の校長先生に案内していただきました。それを動画風にまとめたら面白いのではといってMiさんが提案されました。できあがったものを校長先生が見られて、その出来栄えの素晴らしさに感激され、その後それを教材に使われたり、PTAの会合等で紹介されたりして、高い評価をいただきました。 また、隊中さまの供養祭では式の最初から最後までビデオどりされそれをDVD化し記念として奉納されました。

 Miさんの聞く人に寄り添った教え方等がわかりやすく、これからも、特に高齢者向けにスマートフォンやパソコンの扱い方の話し相手として活躍してもらうよう話しかけています。

・「徳地を何とか」の視点から、「重源の郷再生プロジェクト」「かわまちづくりプロジェクト」等積極的に自らの提言を出され、会の場をいつも盛り上げていただいたYsさんはこの会にはなくてはならない論客でした。さんさ祭り等のイベントで見たコスプレ姿で子どもたちへ語り掛けるあの飾らない童心のような振舞いはいつも我々を楽しませてくれました。家庭の事情でこの地を去られたのは寂しい限りでした。

・N会長のもと、これからいろいろと活躍の場を広めて行こうと考えていた矢先、コロナ感染が広がり、語る会自体の続行が難しくなってきました。それまで2回/月のピッチで会合を重ね計60回を越えていた会も、その後ピタリと止まり、現在に至っています。依然として感染は高止まり状態で推移しており、今後急激な減少は予測しずらく、このままwithコロナで過ごす方策を考えなければならない状況に置かれています。

2.今後の対応

・「語る場」が「語れない場」になってすでに2年になります。「仲良しクラブ」ではなく、立場や考え方が違うそれぞれ個性を持った方々が集まって自由に口角泡を飛ばして議論し合った「会」でした。楽しい中にも時に険悪な空気に包まれた一幕もありましたが、「徳地を何とかしよう」という「強い志」で結ばれたこの「会」は、不沈でした。「よそ者」「ばか者」「若者」が自由に意見を出し合えるこのような「場」は、先が見えない今の時代だからこそ、今まで以上に地域活性化には必要だと考えています。

・しかし、コロナにより「語れない場」になってしまうと、このまま「徳地ワイガヤの会」を存続させ、語る会の再開を待つのが良いのか、この際「徳地ワイガヤの会」を発展的に解消して、別の形で再編成するか、今決断する時期にあると考えます。

・解消しても何かあれば今まで培ってきた信頼関係の下、また集まって「語る場」を臨機応変に催すことを約束し合って、「発展的に解消する」ことをここに提案します。
ps.「徳地ワイガヤの会」の会則に会の解散については記されていませんが、会発足時に出し合った出資金の残高が現在¥22,264(2022年3月31日現在)あります。解散すればこの残金を出資比で配分する方法もありますが、上記経緯の中で記しました藤本3兄弟の記念碑の看板製作代に充当させていただければと思います。皆様のご同意をお願いします。